彦星の七夕 【逸話の新訳童話】

僕の名前は(彦星ひこぼし)

しがない(牛飼うしか)い。

どこにでもいる、(平凡へいぼん)な男だ。

そんな僕には奥さんがいる。

名前は(織姫おりひめ)

(天帝てんてい)の娘で、すごくかわいくて、働き者。

(織物おりもの)が得意で、彼女の()(織物おりもの)は天下一品。

そんな素敵な彼女と先日結婚した。

毎日が幸せで、一秒たりとも彼女の(そば)を離れたくなかった。

彼女も同じ気持ちだったのか、ずっと僕の(そば)にいてくれた。

僕達は働く時間がどんどん減り、ついに働かなくなった。

(堕落だらく)した毎日。

それでも彼女のとの生活は満足していた。

こんな僕達のことを知った(天帝てんてい)が怒ってしまって、別居することになった。

悲しいけど、(天帝てんてい)の言うことは絶対。

(さか)らうことなんてできない。

僕達は天の川を(はさ)んで東西に引き離された。

でも、一年で一度だけ彼女に会える日がある。

それが七夕。

(天帝てんてい)が彼女と会うのを許してくれた日。

毎年、この日のためにいっぱいお洒落をする。

新しい服を買って、靴を買って、髪を切って…。

少しでも彼女にかっこいいって思ってほしいから。

僕は彼女のためにお(洒落しゃれ)をする。

彼女も毎年かわいく(着飾きかざ)ってくれる。

年々かわいさが増しているように思える。

だから、僕は怖くてたまらない。

僕が近くにいないことをいいことに、悪い虫が彼女に付かないか心配で仕方ない。

それほどまでに彼女は魅力的な女性。

だって、僕の奥さんなんだもん。

魅力的じゃないはずがない。

さぁ、今年も彼女に会うための準備ができた。

胸を(おど)らせながら、彼女に会うために天の川へ向かう。

彼女と会うのは毎年決まっている。

天の川に一日だけ()けられる橋の上。

橋の上は(さえぎ)る物が何もないから、遠くからでも何をしているのか(一目瞭然いちもくりょうぜん)

誰に見られているか分からないから、イチャイチャできない。

でも、彼女に会える喜びの方が大きいから、そんなことどうでもよくなってしまう。

あっという間に天の川に到着した。

まだ彼女は来ていない。

待ち合わせ時間より早く着いてしまった。

橋はもう()けられており、いつでも彼女に会うことができる。

橋の真ん中まで行って、彼女が来るのを(心待こころま)ちにする。

しばらくすると、彼女が現れた。

今年もかわいらしく(着飾きかざ)っている。

ゆっくりこちらに向かって歩いて来る。

「久しぶり」と声をかけると『久しぶり』と返してくれる。

彼女のかわいらしい声が僕の(鼓膜こまく)(ふる)わせる。

あまりのかわいらしさに抱きしめようとすると、彼女は一歩下がる。

『恥ずかしい』と顔を真っ赤にして、か(ぼそ)い声で彼女が言う。

そんな彼女がかわいくて、体が勝手に動いてしまった。

力いっぱい彼女を抱きしめる。

一生懸命もがく彼女だけど、男の僕の力に(かな)うはずがない。

しばらく必死にもがいていたけど、(あきら)めたのか、もがくのを()めた。

だらりと()()がったままの彼女の腕。

いつまで()っても彼女から抱きしめ返してくれない。

不安になった僕はそっと彼女を解放し、顔を(のぞ)()んだ。

すると、彼女が今にも泣きだしそうにしていた。

恥ずかしがり屋な彼女は、恥ずかしい感情が(許容量きょようりょう)()えると泣いてしまう。

まさに、今がそうだった。

僕は(あわ)てた。

彼女が泣くと、天の川の(水嵩みずかさ)()してしまうから。

そうなると、すぐに東西へ引き離されてしまう。

今年はそれで終わり。

次は来年まで会えない。

そんなのは嫌だった。

ポロリと彼女の目から涙が一粒落ちた。

それと同時に、僕は彼女の唇に触れるだけのキスをした。

驚いた彼女の目から涙は消えていた。

どうやら彼女を泣き()ませることに成功したらしい。

「ごめん」と一言謝ると、彼女は『うぅん』と顔を真っ赤にして首を横に振った。

それからは、とりとめもない話をして別れた。

彼女とは会えない日々が再び戻ってくる。

でも、また来年会えるから。

それを(かて)に、これから一年、生きていく。